有心会からのお知らせ

有心会からのお知らせです。段審査のお知らせなど。

71歳、剣道愛好家から学者に変身 ー医11回生 十河勝正先生ー

有心会の皆様お元気ですか。 小生、本日、白血病の治療を受け順調に経過していますが、血尿が出て泌尿器科に受診し少し焼けばよくなりますと言うことで入院しましたら、膀胱出血が酷く4時間毎に激痛が襲ってきて、夜昼関係なく24日間苦しめられました.まさに地獄でした 

                         

東京医科歯科大学精神神経科同窓会会報誌に掲載した文章です。中谷先生が宮坂先生に私の文章を渡されて、この文書を有志会の雑誌に投稿したらどうかと言われて、投稿させていただきます。

 

71歳、剣道愛好家から学者に変身

 

                              医11回生 十河勝正

2009年、71歳の時に、自分では全く予想しなかった出来事が起こりました。私のクリニックに通院中のPTSDの患者でFlashbacksが極めて酷い患者が腹痛を訴えてある病院に行き、細菌性下痢症と診断され、ブスコパン(抹消性抗コリン剤)と抗生物質の入った点滴を受けた。約20分後、9年間苦しんだFlashbacksが完全に消失した。2009の不思議な臨床治験から剣道愛好家から町の医学研究者に180度転向した。学問から長い事離れていたので論文を仕上げるのに大変苦労しました。最初にLANCETに投稿したら、“ your paper is very high quality and tremendous possibility ”審査員から褒めて頂いたがRCTでないため、ACTAに頼み、ACTAの姉妹オープンアクjournalに移行してくれ,2021,5,21に受理された。

次のページにプレスリリースとして掲載しましたのでお読みいただければ幸いです・。

 

2009年、71歳の時に、不思議な事が起こった。当医院に通院しているPTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者から大きなヒントを得て、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の従来とは全く異なる世界で初めてのPTSDの中核症状である再起性症状(Flashbacks, Nightmares)の発生機序を発見した。この患者は腹痛を訴えて病院に行き、細菌性下痢症と診断され、抗生物質と末梢性抗コリン剤(scopolamine butyl bromide:ブスコパンファイザー動物実験ではこの薬のBBBの透過性は0.01%)を混注した、20分後に長年苦しんできたフラシュバックスは完全に消失した。Scopolamine は末梢性抗コリン剤で常識的に考えて、脳血液関門(BBB)を透過しないので脳の中に入らない。脳の中にBBBを透過して入らないので、常識に考えてプラセボ現象と考えるのが普通である。しかし、本人と患者の母は本当に効いたと真摯に話した。私はプラセボ効果でなく真実と考え効果機序の解明に努力した。

76歳まで剣道最高位の八段を目指して剣道に夢中で稽古に精進していたが、とんでもない大きなヒントに出会い好きな剣道を控え、研究者の道を72歳と言う高齢で歩むことに成りました。

 

昭和の宮本武蔵といわれる中倉清剣道九段範士に偶然出会い、自分の人生が大きく変わりました。中倉清名人は言葉に表せないオーラを感じ、その名人に大切にしていただき、弟子にして頂き思いがけない人生を送らせて頂きました。広島で2度の全日本医師剣道大会を開催し、2回剣道大会で優勝し、韓国で開かれた世界剣道選手権大会の前日、親善試合に全日本剣道連盟から推薦され台湾の選手と引き分けました。剣道からいろいろな事を勉強させて頂きました。剣道の言葉に”合気”と言う言葉があります。毎日の診療にその様な気持ちで患者さんの気持ちに合わせて対峙しております。又、ある稽古会で同年配の広島県県警剣道師範が膝を痛めて正座が出来ないのに、稽古と成ると痛みを我慢して一生懸命稽古をやる彼の姿を見て私には出来ない事だと感じたのですが、彼にとっては、剣道は天職です。だから出来るのだと思いました。同時に、剣道は私にとっては趣味で、天職は医師と言う職業です。彼から“医師は天職なり”と教わり、それ以来、毎日を北大出の息子と84歳ですが抵抗なく楽しく頑張っております。

 

話を元に戻しますが、BBBを透過しない筈の末梢性抗コリン剤:scopolamineがBBBを透過したのは、東大脳学者;有田秀雄の書籍に説明が記されている。有田先生の考えが大きなヒントになり、PTSDの全く新しい発生機序の発見に大きく繋がった。有田先生の考えは(2006, system neurophysiology of substances in the brain: neuroscience of mentality and vigor: P167):脳の中のアセチルコリン基底核・Ch4(Meynert 核、全部で8個あるACh基底核の中で一番大きい、アセチルコリン分泌が最大)が異常に興奮するとアセチルコリン神経を介して細動脈の周囲を取り囲んでいるアストロサイト・capilary endothelial cell       のムスカリン受容体を刺激してBBBの変容を来すと述べている。この患者はPTSDによる脳の異常な興奮状態をきたした為、BBBの透過性が増し末梢性抗コリン剤:scopolamineが適当量(多量では悪化すると言われている)、幸運にも脳に入り、Ch4(Meynert)を抑制して、20分後にFlashbacksが完全に消失したと考えられる。Ch4(Menert核)-扁桃体-、Ch1,Ch2-海馬-CORTEXへと双向性連結し、PTSDの中核症状である悪夢は幹脳部にある逆説睡眠を起こすCh5, Ch6もFlashbacksを起こす発生機序の原因と繋がっていると考えられる。我々のPTSDの薬効がFlashbacksと同時等価性に起こる臨床現場からの臨床結果から考えられる。まとめて言えば、Ach-Related -Memory-Circuitの異常興奮がPTSDの中枢性症状を起こす。このPTSDの発生機序から見出した中枢性抗コリン剤:Trihexyphenidyl(アーテン)がPTSDの中核症状である再起性症状(Flashbacks,79%, Nightmares, 88%の効果)に著効し。極めて速効性(1-1.5時効果発現、1 週間で症状消失、2-3週間で症状安定)がある事をLANCETに投稿した。審査員は“your paper is high quality and tremendous possibility、but not formatted form”とRCTでない為に断られた。次に、ACTAに投稿したら姉妹オープンアクセスジャーナルのBrain and Behaviorに移行してくれた。この編集長はハーバード大学出身の医師で柔軟性があると期待した。1名の審査員全く話にならない学者であった。あり得ない事はすべてプラセボと言い切、RCTでないとダメだと言われ大変ストレスを受けた。今までの医学歴史上を顧みると、あり得ない事が起こり大きな発見に繋がった事は多々見てきた。岡山の林原産業の社長は発見を自分がやろうと思っても出来るものではない。天から降りて来るものだと言っていましたが、まさにそうだと思います。

PTSDの中核症状は機序が解明されていない為それぞれの意見があり、日本のPTSDの著名な学者である一人は中核症状を2個、他の方は3個挙げられているが、私は発生機序に基づいた中核症状である再起性症状(Flashbacks, Nightmares)が2個の中核症状だと確信する。

PTSDの発生機序はまだ世界的に解明されておらず、アメリカではケタミン・エクスタシーが話題、日本では認知症の薬メマンチンが話題になっているが効果は明確ではない。抗うつ剤動物実験で、抗鬱剤が海馬神経細新生作用に効果があると言う事で抗うつ剤パキシルジェイゾロフトPTSDに追加適応されたがあまり効果はない。メマンチンもアメリカの論文に中核症状である再起性症状(Flashbacks, Nightmares)には効果がないと記載している。日本のメマンチンの研究の某国立機関も臨床治験に10名募集3名辞退してオープンラベル法で治験した。効果は有ったとの事であったが、基準が曖昧で臨床件数がたったの7名であるがすぐ論文に受理された。そごうクリニックは町の医師である。大きな医療機関は曖昧な臨床治験結果での論文受理が速いのには驚いた。私は一生懸命に論文投稿に長年努力しているのに簡単に受理される。13年間の論文投稿に全生命をかけて頑張った。RCTでないとダメと言う審査員に、RCTで効果承認された新薬で効かない新薬が多々あった。RCTで効果を真に判定するのは臨床現場である。あり得ない事が臨床現場で起こる事で大きな発見に繋がるのも臨床現場で、大切さをつくづく実感した。

84歳で寅年であるが、研究で日本国内、外国でいろいろと発表活動したら、ある著名な先生が国内・及び国際のCINP薬理学会の評議員に推挙されビックリしております。

先月、体調が余りよくなくて血液検査をしましたら、今まで見たことのない真黒な色の採血血液で心配で広島日赤血液内科で慢性骨髄単球白血病と診断され、先週高齢者自動車免許証の更新に成功しました。すこし迷いましたが既に84歳ですので考えても良いideaも浮かびません。天命に従って生きる事だと思いました。

 

早く開業しましたので自分で自分の自由は時間を作る事が出来、ミクロネシア諸島、ヨロパー、中国、アメリカ、オーストラリア等と旅行し、一番感動したのはアイスランドへの旅でした。台湾・ハワイ・韓国・パリには剣道旅行で数回行きました。香港にはミッドナイトベット号で香港Cap(Grade1)に優勝、ワールドエース号で日本ダビーに出場し一番人気で残念ながら4着でした。

最新の先端技術を駆使してPTSDの発生機序であるAch-Memory-Related-Circuitを視覚的に解明していただきたいと願っている。

ごく最近、インドでPTSDラットに中枢性抗コリン剤:Trihexylphenidyl:を与えると改善を認めたという論文が出た。

同窓生の皆さんのご活躍とご健康を心よりお祈り申し上げます。

 

医療法人そごう会そごうクリニック、そごうーPTSD-研究所

732-9824, e-mail:sogoutiger★nifty.com

十河勝正。

有心会会員へご協力のお願い

東京医科歯科大学剣道部有心会会員殿
剣道部現役の木島さんからすでに連絡があったように、今年は以下の2件の大会の主管が予定されています。
 
1.11月5日(土)東京地区国公立大学剣道大会
2.12月3日(土)秋季関東医科大学剣道大会
 
いずれも当大学の市川体育館が会場になります。
コロナ禍急増のおり、大学の最終的な確認は未だですが、そうなる予定です。
 
いずれも大きな大会であり、東京医科歯科大学としては対応しなければなりません。
しかし、主管校の対応が悪いと問題になりかねません。今までにも残念な歴史があるのは、皆さまもご存じだと思います。
 
しかも土曜日が開催日です。
このため、有心会メンバーには対応しにくいのはよくわかります。
 
しかし、当大学剣道部が主管をする際には、経験ある有心会メンバーのサポートが絶対に必要です。
 
このため、両日にご協力いただける会員の方は、事務局宛あるいは私宛でも結構ですので、8月中に予め届け出をいただければ幸いです。もちろん、どちらか一日でも結構です。
 
現在のところ、前者の大会に関しては、梯師範のご協力が得られ、審判員は少なくとも警視庁剣道指導室が中心のメンバーにお願いすることができます。後者については、これから決めるところです。
 
また、前者に関しては、各大学が係員を3名出してくれることが判明しており、合計10大学が参加をしますので、それで30名の確保ができます。
 
このため、会員の皆様が実働的なメンバーとなる必要はありませんが、皆様の豊富な経験が役に立つと思います。
 
今の剣道部員は幽霊部員(?)も含めて10名前後しか当てにできず、現役の経験不足から対応が十分に行く可能性は高いとは言えません。その中から正選手、補欠、さらに役員、係員を出すと、残りは部員数すら足りない可能性が大です。このため、会員の皆様のご協力をお願いする次第です。
 
取り急ぎお願いまで。
 
有心会会長 宮坂信之

剣道部OBの越智小枝先生が東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座教授に就任

会員の皆様、ホームページをご覧の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
明るいニュースをいただきましたので紹介いたします。
本学剣道部OBの越智 小枝 先生が2022年4月1日より、東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座教授に就任されました。
 
コロナ禍のため、現状ではお祝いの場を設けることは叶いませんが、有心会会長宮坂信之先生よりお祝いのお言葉を、越智小枝先生よりご挨拶のお言葉をいただきましたので、以下に掲載いたします。
 
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越智小枝先生が慈恵会医科大学検査医学講座主任教授着任を祝う

有心会長 宮坂信之

 

越智小枝先生は本学剣道部の出身であり、剣道部女子部コーチも長年勤めた。

本年4月1日からは、慈恵会医科大学検査医学講座の主任教授に着任した。このポストは、同講座の主任教授であるのみならず、4つの附属病院の臨床検査部も率いるものである。業務は多く、人事もやらなくてはならない重責である。

私は、「人は石垣、人は城」であり、人を育てるのに少なくとも3年は必要だと思っている。「石の上にも3年」の諺にあるように、その間は基礎を作りながら、じっと我慢をしなくてはならない。

私も本学第一内科教授を務めたが、大学院重点化を期にして膠原病・リウマチ内科教授になった。私は初代教授として優秀な研修医集めに明け暮れた。その頃、入局したのが越智先生である。

越智先生を大学院生として免疫学の高柳教授(現東大免疫学教授)にお願いし、そこで博士論文の仕事をさせていただいた。その後は都立墨東病院内科に出向させたが、ある日、私に英国留学を願い出てきた。疫学を英国で学びたいとのことである。私も反対できなかった。

英国に滞在中に東日本大震災が起こり、彼女はその対策にも充てられた。以来、今でも福島県とを行き来しているはずである。このようなチャンスを生かすのも彼女らしい。しかも、未曽有のコロナ禍である。今回、慈恵会医科大学検査医学講座での奉職の機会をいただいたことも、越智先生ならではある。

全日本剣道連盟の医・科学委員会のメンバーもお願いしている。私が現在の委員長であるが、越智先生のバックグランドを活かせれば将来の委員長も夢ではない。

昨年、剣道も七段になった。本学の道場での稽古をみていて、私は梯 正治師範に毎回掛かることの重要性を越智先生に話した。私も梯先生の弟子を自任しているが、私は機会あるごとに梯先生に稽古をお願いしている。そして、剣道の基本ができないと、稽古にならないことを痛感させられている。いつも「聳える壁」に挑戦するが、毎回稽古が終わると失望の連続である。ひどいときは道場の羽目板まで飛んでいくこともあるが、それでも打ち込んでいかなければならない。その結果、越智先生は見事に七段を修得した。

今後もさらに厳しい、つらい環境が待っているであろう。そんな時に剣道部で培った精神を活かしてほしい。越智先生の今後の活躍を心より期待するものである。

 

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東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座教授就任のご挨拶

平成11年卒 越智小枝

 

2022年4月1日付で、東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座の講座担当教授に就任いたしました。また遅ればせながら、2020年11月に剣道7段審査に合格いたしましたことも、この場を借りてご報告申し上げます。

私は1999年に医科歯科を卒業後、第1内科研修医を経て膠原病・リウマチ内科学講座に入局し、宮坂信之先生に師事させていただきました。その後公衆衛生大学院への留学を決意しましたが、留学決定のわずか10日後に東日本大震災が起き、進路が大きく転換しました。

留学先では災害公衆衛生を学び、災害のご縁で2013年より福島県相馬市へ移住。そこで偶然お会いした先生にお誘いいただき、2017年に東京慈恵会科大学の臨床検査医学講座に入局しました。入局後改めて病院の「台所」ともいえる中央検査部の重要性を知り、現在は医療情報整備や災害対応の視点から臨床検査医学に取り組んでおります。

 このような紆余曲折の中、剣道は常に私の心身の支えでした。留学先のロンドンやボストン、学会で訪れたイスラエル、移住先の相馬市など初めての場所に行っても、地元の稽古に参加をすることで地域に受け入れていただけたことは、貴重な経験でした。

初めての土地で稽古をする時にはいつも、「梯正治先生にご指導をいただいた者として恥ずかしくない剣道をしなければ」という緊張、そして「梯先生に掛かる気持ちで行けば何も怖くはない」という信念をもって臨みました。また梯先生の「強いと言われるよりももう一度稽古したいと言われたい」というお言葉が今でも忘れられず、今も私の剣道・そして人間関係の目標となっております。

 また、学生時代から医局時代、そして現在の全日本剣道連盟医・科学委員に至るまで、長年宮坂先生に師事できたことは、奇跡に近いご縁だと思っております。現在勤める東京慈恵会医科大学の建学の精神は「病気(のみ)を診ずして病人を診よ」というものですが、これは正に宮坂先生からいただいた教えそのものであり、そのお蔭で他校である慈恵にも違和感を覚えず溶け込むことができました。

 今、私自身はコロナ禍で2年ほど対人稽古ができておりません。それでも色々な方との剣縁がふと未来を開いてくれるような機会が度々あり、そのたびに剣道は本当に「道」なのだな、と改めて思います。その剣縁をつないでくれた剣道部には感謝の念より他ありません。

まだまだ未熟者ですが、これからもどうぞご指導のほどよろしくお願い致します。

 

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以上となります。
本当におめでとうございます。

山本肇先生のご逝去を悼む(平賀聖悟先生、福島俊士先生執筆)

山本 肇先生のご逝去を悼む

有心会名誉会長 平賀聖悟

 

 東京医科歯科大学剣道部の第4代部長をお務め戴き、かつ東京医科歯科大学の元学長でもあられました山本 肇先生が本年(2022年)2月16日にご逝去されました。

 

12月の写真が先生とご一緒の最後となってしまいました』

 

 1~2年来先生の入院のお知らせに接し、福島君とお見舞の機会を計っておりましたがコロナ禍のため、なかなかお訪ねできなかったのですが、昨年10月先生のご長女の佐藤郁子様より山本先生が老人ホームソナール目白御留山にご入居されたというお知らせを戴きました。コロナの状況や施設の対策(面会禁止等)を窺っていたところコロナ第5波が収まり、面会のまたとないチャンスということで12月5日日曜日の午後福島君と一緒に老人ホームへお訪ねしました。郁子様とは連絡が良くとれており、山本先生の好物等をお伺いしたところ、お煎餅や甘いお菓子等もお好きとのことなので2人で持参し、郁子様も当日ホームで合流しました。

 

 この時先生は大変お元気で、口数は多くはなく言葉も明解というわけではありませんでしたが、持参のお菓子を摘みながら上機嫌であることが見てとれ記念写真を撮りました(写真)。

2021年12月5日 ソナーレ目白御留山にて(山本先生96歳と)

 

郁子様より先生が大事にしている写真を見せて戴きましたが、それは剣道部の写真で山本先生(当時監督)を真中に全員稽古着姿の集合写真であり、如何に先生が剣道部に愛着をお持ちであったかがよく判りました。

 2時間ほど楽しく過ごさせて戴き、次のご訪問を約束してお暇しましたが、12月の写真が先生とご一緒の最後となってしまいました。

 年が明け新たなオミクロンによる第6波を心配しておりましたところ、2月16日に山本先生の急逝を知るところとなりました。老人ホームでコロナクラスターが発生し先生も2月5日に発熱し、PCR陽性となったので医科歯科大学病院へ入院、症状も落ち着き2月16日午前10時頃退院の準備をされていた時にご逝去されたと伺いました。病気の極期で苦しむことも無く、むしろご寿命であり山本先生らしく大往生されたものと理解しております。

 葬儀はご家族様で済まされ3月5日には後楽園駅に近い源覚寺の小石川墓陵で関係の深い方達をお招きしたお別れの会が行われました。

山本肇先生のお力添え無くしては剣道部の発展はなかったものと思います』

 山本先生の剣道部へのご貢献については書き尽くせないものがあります。無から立ち上がった東京医科歯科大学剣道部について、学生のクラブ活動であるので、学生が主役と言ってよい訳ですが、学生のみでは大学という組織の中では限界もあるので、教官の立場から剣道部の確立や発展に無条件でご尽力を賜った先生方の存在は欠かせません。特に剣道同好会から始めた草創期においては教養部で寺川博典先生、学部では山本 肇先生のお力添え無くしては剣道部の発展はなかったものと思います。

 1963年に教養部において剣道同好会が発足し、翌1964年には私達も学部へ移ると同時に剣道部へ昇格しております。この時点で歯学部口腔病理学助教授でありました山本先生が道場へお見えになり、その契機は定かではありませんが、当時の吉田栄治師範から情報提供されたように思います。2013年の水鑑第13号(50周年記念号)にこの頃の板張り青空道場のことを書かれており、1966年に東北大学歯学部(1970年歯学部長)へ移られてからも1968年の水鑑第2号へ寄稿されており、東北大学歯学部剣道部の創設を相談され、医科歯科大学剣道部の草創期にも触れ、再び竹刀をとることを記されております。

先生の剣風は合気道を思わせる身のこなしでありました』

先生との思い出は書き尽くせませんが、特に印象に残っていることを書き残してみます。 剣道部にいらっしゃった頃、道場で実際に防具を着けられ手合わせして戴いたことがあります。先生は確かお若い頃合気道も学ばれ、第一人者の植芝盛平翁の教えも受けられたとお聞きしたことがありますが、先生の剣風は合気道を思わせる身のこなしでありました。また稽古のあと、時に呑み会に連れていって戴きましたが、丁度給料日に当っており胸ポケットから無造作に給料袋をとり出して奢って戴き仰天したのも思い出です。1967年の正月には福島君と一緒に文京区のご住居へお招きを受け、捜しながらお伺いしたところ音羽町鳩山御殿の中で、この頃のエピソードは1983年刊の水鑑第6号に福島君が記しています。

山本先生は剣道部にとって恩人です』

 山本先生は1991年に東京医科歯科大学学長に就任されており、その後「レーザー照射による齲蝕予防その他歯科応用に関する研究」で学士院賞を受賞され2001年には剣道部・有心会として細やかな叙勲祝賀会を開催させて戴きましたが、学士院賞の副賞は学生のため、剣道部のためにと学部道場のエアコンの整備に寄付して戴きました。また、学長在任中に歯学部の剣道部員が不幸にして外傷による脊髄損傷となってしまい、その後の勉学や卒業に大変心配な状況に陥りましたが、山本先生のご配慮のおかげで実習等も続けられ歯科医になれたことも聞いております。

 山本先生は剣道部にとって恩人です。大勢の剣道部関係者の中で直接医科歯科大学を卒業された大先輩であり、先生との交流から何よりも学生を大切に思い育んで戴いたことが実感され、心から感謝申し上げます。

 山本 肇先生、本当に有り難うございました。先生のご冥福を心からお祈り申し上げますと共に今後も天国から末長く後輩一同をお見守りください。

2022年3月26日

 

追伸

   山本先生追悼文の最後に「有り難うございました」という御礼の言葉を一言入れたのは、これが山本先生のご希望であったからです。

 以前、先生が有心会の会合に出席された時、同席のテーブルで道場のエアコンのご寄付(学士院賞の副賞数百万円)等に話題が触れ、何か恩返しをしたいという話題の中と思いますが、山本先生は「何もしなくて良い、自分が逝ったら(柩の前で)ひと言『有り難うございました』と言ってくれれば良いのだ」とおっしゃいました。

今回、コロナ禍の中のため(当初は安置されていた墓所の訪問を予定しましたが)先生の柩に接することが出来ませんでしたので、文書の中で先生のご希望通りに対面した積もりで御礼を申し上げたのです。なお、この時と思いますが、ご高齢を自覚された上で東京オリンピック(2020)までは生き延びて是非観たいと申され、見事達成されました。

 

山本 肇 先生、ありがとうございました!

有心会名誉副会長 福島 俊士

 

 山本 肇先生をお茶の水の旧歯学部校舎2階西側の歯学部病理学教室に初めてお尋ねしたのは、私どもが学部に進学した昭和39年春、同好会から部に昇格した直後だったと思う。陸軍予科士官学校卒の経歴をお持ちの先生に剣道部長をお願いするためであった。当時先生は38歳で病理学教室の助教授でいらした。それから先生が新設の東北大学歯学部教授として転出される昭和41年10月までの約3年間、公私にわたってお世話になった。通常の稽古はもちろん合宿にも数回参加してくださった。夏のデンタルが新潟で開催された折には、ご実家の2階に選手全員を泊めてくださった。また、文京区音羽のご自宅へお正月にご招待くださったこともある。先生というより頼りがいのある兄貴分といった親しみがあった。

 学部に進級したもののそこには道場はもちろん体育館もなかった。そこで空手部にお願いして同部が当時屋上にもっていた1辺10m弱の四角形の板張りを練習場とした。その後、同じ屋上の少し離れた矯正科研究室の前にあったほぼ同じ大きさのリノリウム張りの専用練習場を手にした。嬉しかったのは床が簀の子でなくその全面が塞がっていたこと、そして夜間でも明るく照らす照明が2灯あったことである。そして間もなく、中庭にあった解剖実習室が柔道部・卓球部・剣道部の練習場に改修された。つまりは屋根のある(雨でも稽古のできる)練習場を手にした。これらの大変革に力を貸してくださったのが山本先生だった。感謝の念でいっぱいである。中庭の改修された練習場で山本先生と竹刀を交えたのも懐かしい思い出である。当時40歳になられた先生は、動きに動く、一所に留まることのない元気一杯の剣道をなさった。

 

「先生、ありがとうございました!」と言うと、「おぅー」と応えてくださった』

 その先生が96歳の天寿を全うされ、音羽町に近い小石川墓陵での「お別れの会」の中央でうすいピンク色のいくつもの花籠に囲まれて静かに笑っていらした。「先生、ありがとうございました!」と言うと、「おぅー」と応えてくださった。すぐ傍に設えられた思い出の品々の中に昭和41年7月、富士山のふもと山中湖畔での夏合宿でジャングルジムに上って全員で撮った先生を中心とする大きなゝ写真があった。合掌

(令和4年3月記)

2022年3月5日 山本肇先生お別れの会

山本肇先生と東京医科歯科大学剣道部(福島俊士先生作成)

(2022年5月開催@京都、@愛知)剣道六七段審査会申し込みについて

文京区剣道連盟より、剣道八段審査会の要項が届いております。
受験希望の方は、団体ごとに申し込みを行いますので、有心会庶務(tmdukendoheart@gmail.com)までご連絡下さい。
(期限:2022年2月28日(月))
 
以下に要項を抜粋して記載致します。

(2022年5月開催@京都)剣道八段審査会申し込みについて

文京区剣道連盟より、剣道八段審査会の要項が届いております。
受験希望の方は、団体ごとに申し込みを行いますが、今回は宮坂先生が受審されるとのことで、まとめて申し込んでいただけるそうなので、宮坂信之先生(miya.rheu@gmail.com)までご連絡下さい。
(期限:2022年2月28日(月))
 
以下に要項を抜粋して記載致します。

1/26に有心会総会がオンラインにて行われました

会員の皆様

 

1/26に有心会総会が実施されたことをお知らせいたします。

 

本年度もコロナの感染状況を鑑みて、昨年に引き続きオンラインにて行われました。

また、初の試みとして、メーリングリストにて事前に開催を予告し、会員にオープンな形で総会が実施されました。

内容としましては、昨年度(2020.11.01~2021.10.31)の期間について、現役・有心会双方の会計報告が電子的に行われ、承認されました。

 

ご多忙の中、ご参加いただきました先生方に御礼申し上げます。